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3・11以来、確かに私たちの住む世界は変わりました。
表面上だけ、今までと変わらず流れているふりを続けているけれど、根底は大きく変化してしまったので、どうもあちこちにほころびが出てきているように感じます。


明らかに放射能の汚染は進み、食のあり方も、生活の仕方も変わらざるを得ない局面を迎えています。震度5を数える地震が日本全国で頻発。1時間に1000ミリを超える尋常でない雨が降る。
世界経済はいくつもの大国がデフォルトの危機。日本も影響を受け、円高が進み経済は低迷、国の借金は膨らんで復興資金が出てこない。ざっと見回しただけでももいくつも今までと相当違う、そして解決策の無い混乱が始まっています。

皆さんはそんな変化に気づいておられるでしょうか。
とかく、スピリチュアルに興味のある方は、こういった社会事象のネガティブな気運に巻き込まれるなと言われ「我関せず」で生きている方も多いようです。
私はそれは全くナンセンスだと思っています。
この世界に生きている以上、この世界に起こってくることを無視したり見ないフリをして生きていくことはできません。この世界で起こる事象から学ぶため、私たちは地球に人間として生まれてきたのです。今どんなことが起こっているのかに目を背け宇宙人や天使に依存しているとしたら、それはスピリチュアルを隠れ蓑にした逃げに過ぎません。


社会事象のネガティブな気運を知り、その上でそれに巻き込まれないよう最善の策で生きていく、またはそれを実現しないよう最善の状態を作っていくことが、人間として生まれてきたチャレンジでありミッションです。それがこの世界の理である”バランス”です。
どうか偏ったスピリチュアルを妄信せず、「この地球に産まれこの地球と共に生きるバランスの取れたスピリチュアリティーの高い人間」であっていただきたいと思います。

 


そんな世界の変化の中で、「何が本当で何が本当ではないのか」わからなくなってきています。


このブログをお読みになっている皆さんはきっと、きちんとそれを把握しようとしていらっしゃる方がほとんどだと思いますが、情報は明らかに錯綜しています。
稀に見る混乱期、この状況は現代文明では初めての経験なのかも知れません。


私たちは良くも悪くも、政府の発表やマスメディアの動向に左右されています。
最近まで、例えば「国が発表する情報」といえば、テレビ・ラジオか新聞を通じてしか手に入りませんでした。当然のことながら、政府見解と違う意見があっても、また隠蔽があっても、発表する側が情報を一元化すれば、異論は世間に公表されることがなかったのです。
ところが、インターネットが急速に発達し、PCや携帯で様々な情報を受け取ることができるようになりました。それはつまり情報の発信もできるようになったということで、今まで闇に葬られていた「公式発表に対する異論」が発信され始めたということです。


TwitterやFacebookが発信源となって、今までけして表に出なかった情報が出てきて、それが急速に広がり火がついた…という出来事が世界で頻発しています。これが私たちの身の回りでも「情報が錯綜している」ことのひとつの理由でしょう。



”情報が一元化されていない状態なので、どの情報を信用するかは個人に任されている”それが民主主義の社会では妥当な形だと思います。日本は憲法である程度の自由を保障されている国ですから、情報の受け取り方や個人の思想・信条に関して、また制限はあるものの発言や表現についても自由な筈です。


端から言論・情報を統制し統一見解しか発表してはならないという国もあります。先日の中国の新幹線事故はそれをおかしいと思った人たちが声を上げましたね。


つい先日「おや?」っ思ったのは、いわゆる「公式でない情報」がどうやらあからさまに統制される方向に動き始めたということです。(言論の自由は憲法で保障されているものの、自由に発言していると罰を受ける法案が通り施行されている…Twitterなどで原発問題やその被害状況などについてコアな発言をしている影響力のある人が、発言削除やリンク。フォローをはずされるなど圧力を受けているようです。)


もちろん今までもいわゆる「統制」はあって、調整・黙殺・削除など水面下で行われていましたが、こんなにあからさまに行動せざるを得ない状況とは、かなり切羽詰った状況なのだな、と思います。
出てほしくない情報が大量に流出しているからこそ、荒療治でも何でも、手を打たざるを得ないのだろう、と。
放って置けば、日本も中東のような革命の風が吹き荒れるかもしれないと懸念する人たちが居るのでしょうね。


 

そんな中で今私がいちばん「?」を感じているのは「風評被害問題」です。


「風評」というくらいだから「うわさ」です。
「うわさ」には根拠がないものです。
だから悪質だと言われるのでしょう。


ところがこの情報社会。いろいろな根拠を示すこともできます。
ただの「根拠の無いうわさ」ではなく、自分でデータを取ったり調べたり、聞き取り調査をしたりして、情報発信している人もたくさんいます。
ところが「検証した結果に基く見解」を主張しただけで「風評被害」とされてしまっています。どうやら個人の検証結果は根拠なしと判断されているようです。


基準はあいまいでうやむやなまま、なぜか自分の不安を素直に口にした人たちが「風評被害」と悪評される。
「これが風評被害です」という明確な基準が無いにも関わらず、言葉だけが独り歩きし、私たちの一人一人の判断基準にも混乱を与えています。

考えてみれば簡単なことなのですが、どういう基準でどういう場合はが風評被害と言えるのかをきちんと見解として示せばおさまるのではないのでしょうか。これから保障問題も大きくなっていくでしょうから、基準を決めないのは「???」です。
混乱状態を維持することが必要でわざと放置しているのかと思います。

 

「風評被害問題」に限らず、考えが混乱するような状況に巻き込まれないためにも「自分自身の判断基準」をもう一度確認しておきたいものです。

何かを自分で判断するときと言うのは、一般的な(特にマスメディアの誘導する)「良し悪し」はさておき、まず情報を目にして、自分自身がどう感じるのかを問うことから始まるはずです。

ところが。
基準の無い「風評被害」のような不安を強く印象づけられてしまうと、自分の感じたことが社会的に広まっている情報と違う場合「間違っているかも」と感じてしまう

人にどう見られるかを気にして生きている人は「間違っている自分」はとても嫌なので、「大衆の意見に合わせておけば無難」という判断をし、自分の感性は無かったことにして「みんなの言うとおり」にあわせてしまう

いつもそうしているとやがて脳には「近道回路」ができてしまって、自分の感じたことと周りの見解が違うと言う葛藤にぶつかりそうになると、自動的に「近道回路」が働き「みんなの言うとおり」に修正されてしまう、ということが起こります。


長い間そういう生き方をしていると、何でも「みんなの言うとおり」になってしまっている自分に違和感も持たなくなります。「ちゃんと考えてこうなんだ」といえるようになってしまうのです。それと引き換えに無くしてしまうのは「感性」。どう感じるか、という、生物に本来備わっている”野生のカン”が働かなくなっていきます。


私たちは生き物ですから、脳で考える前にまずこの”野生のカン”が働くようにできています。
その人個人に備わっているものだから”野生のカン”は操作できません。


それに対して、頭で考えることは簡単に操作される可能性があります。
脳で考えることは個人的なものもありますが、「その他大勢の意見」ももちろん取り入れることができます。両方を加味してどちらかまたは多くのものの中からひとつを抽出して最終的にそれを「自分の意見」とする作業をします。もし脳で考えることが優先になってしまったとき、ここでの作業に混乱をきたしたらどうなるでしょう。作業中にどちらかに意見が流れるような影響を強く受けたとしたら?本来の自分の判断はできなくなってしまいます。



何が本当で何が本当ではないのか



それは、「【自分自身の中で】何が真実で何が真実でないのか」ということ。
他人とは違うかもしれない。
でも自分の生物としてのカンが「何が必要で何が必要でないか」を叫んでいるはずなのです。
社会的に正しいか正しくないか「考える」ことは2番目にして、まず一番目に「感じる」ことです。


そして、それが社会で言われていることとどのように違うのか、それに対して自分はどのように対処をするのか検証してみてください。


みんなと違うことを感じよう、考えよう、という意味ではありません。
結果が社会的に言われていることと同じだったとしても、きちんとこのプロセスを踏んだかどうかが問題です。


例えば嘘の情報に踊らされ、振り回されて、右へ倣えしてきたのに事実は違ったとなると、自分の生き方に納得がいかなくなってしまいます。そこには怒りや悲しみ、恨みしか発生しません。
情報と言うのは「操作できるもの」ですから、後出しもありです。(3.11以来、特に原発の問題については、もうずいぶんいくつもそういうものを見せられていつのですが、みなさんちゃんと気づいていらっしゃるでしょうか。)


それを踏まえて、「自分は何を選ぶのか」を常に心の片隅において確認しながら生きて行きたいものです。自分の人生ですからきちんと自分で選んで、たとえ失敗した!と思っても納得のいくように生きたいものです。「自分への信頼感」が良いカンを働かせるための最大のファクターですから。



もちろん、「政府やマスメディア発表にいわゆる公式情報」以外の情報…インターネットでの情報やブログ等で発信されている個人的意見に触れる場合も同じことが言えると思います。
最近は地震が来るという予知情報などもたくさん拡散されています。
そういう情報に触れたとき、ただ鵜呑みするのではなく、恐怖を覚えるのではなく、感情や知識は置いておいて、頭ではなく心でその情報がどんな感じがするかを精査してください。
祈るのも、恐れるのも、備蓄するのも非難を考えるのも、それからです。

 

 

情報も、世の中も、たしかに混沌としていますが、表面上は何も変化が起こっていないかのように見せられています。
福島では未だ放射能汚染がおさまらないまま、東北では地震後の復興もなかなか進まないままなのにも関わらず、テレビではお笑い番組やグルメ番組が普通に放送されています。
また、被災地にあっても、放射能が検出されている食材を「基準値以下だから」と肯定する動きがあり、それに不安を示すだけで「風評被害」と批判されると言う本末転倒のことが起こっています。
どちらが本当でどちらが本当でないのか、わからなくなっている人も大勢いるはずです。


私たちにとって今の状況は、ひとつの「試験」なのかもしれません。
このまま「わからないから、まあいいや」「みんなと一緒が無難」と流されていくのか。
これをチャンスと捉え真摯に向き合い「自分は何を選択しどう生きるのか」を決めるのか。
今は分かれ道なのかも知れません。
二つの流れがそれぞれ行き着く先もイメージしてみてください。
「まあいいか」と流されていったとしても、もうこれまでの世界に戻ることはできません。
時間は確かに流れていて、世界は確実に変化しています。


この混乱や混沌を勝機と捉え「【自分自身の中で】何が真実で何が真実でないのか」を分けていける人は、まだこの先にくるであろう荒波を乗り越えていける、そんな気がします。




 


3.11の地震、その後の余震や最近の大きな地震。
人工地震という説があるようです。
政治の問題も、経済に関しても、様々な「策略がある」と、まことしやかに語られている様子。

そんなに不安を増幅してどうしたいのでしょうか。
どれも「疑い」はあるが「確たる証拠」はない。
疑いを抱かせるような、なんとはなく証拠になりそうな情報はばら撒かれていて、それを拾い上げた人々が、その情報を根拠に謀略説をささやき始める。
そんなすごい策略や謀略なら、そもそもリークされないでしょう。
人の手によって起こされたと思うより、自然の力で起こったと思うほうが人間は無力感を感じます。
むしろ人々に無力感を与え恐怖させたいなら、謀略説より自然説でしょう。
それなのに何故謀略を匂わせるような情報が飛び交うのでしょうか???

謀略説の目的は、人々に「怒り」を植え付けることなのではないかと思います。
恐怖して萎縮するより、怒りを覚えて報復の応酬になる方が、簡単に波動を下げることが出来ます。
誰も手を下さなくても「怒り」の種をばら撒いておくだけで、人々は誰かを「首謀者」と疑い、疑われた者は報復に出て、勝手に足を引っ張り合い自滅していってくれるでしょう。


「疑い」を広めて、心を不安な状態に陥れ、精神を不安定にさせる…
これ、いわゆるマインドコントロールの常套手段です。
誰が何のためにマインドコントロールを仕掛けているのか、なんて、考える必要もなければ知る必要もありません。
ただ、マインドコントロールにかからなければ良いのですから。


私たちはもともととても無力なんですよ。
原発を作っても、事故を収める能力もないのです。
(あれば状況は改善しているはずですが、全くその兆しは見えません)
どこかに勘違いがある。
それも誰かに仕向けられていることです。

例えば人工地震が本当だとしても、最終的に地球がOKしなければ起きません。
そこに人の策略があったとしても、それは起こるべくして起きたのです。
地球はその地震の発生を止めなかったのです。
一方、先日の台風。
どんな大きさと勢力で日本を襲うのだろうと心配した人も多いはず。
しかし、あれは地球がOKしなかったのでしょう、さっさと温帯低気圧に変わってしまいました。
私たちは、地球の技には対抗する術もない。
だからいろいろな証拠(らしきもの)があったとしても、それは「人が起こした」という大それたものではなく、結局は最後の地球がOKした、起こるべくして起こった出来事なのだと、私はとらまえています。


自分たちの作った、そして暴走している原子炉を止める策すらない人類が、自然の力に逆らえるはずもありません。
私たちはいつからそんなに偉くなったのでしょうか。
いつから地球の決断を凌ぐほどの偉大な存在になってしまったのでしょうか。
誰に、どんな情報に、いつから踊らされていたのでしょうか。

 

地震も、原発事故も「もう一度考えるチャンス」なのだと私は思っています。
私たち人類と地球の関係性…
”○○県○○市に住んでいる○○市民の誰それ”という小さな視野でなく、この宇宙に、地球上に許可され生かされている、人類=生命体という大きな視野で考えてみる必要があります。


放射能汚染が進み、いずれ蓄積して人々も汚染され病気になるかも知れません。
死に至ることもあるかもしれません。
それは誰の仕業でしょうか。
地球から観れば人類の仕業です。
「私のせいじゃない」なんて通用しませんよ。
私もあなたもこの地球上にOKされて生かされている人間じゃありませんか。
原子力発電に関して、目に見える直接的な関係性はなくとも、やはり私もあなたも、この責任の一端を担っているには違いありません。

あの地震の後、人類自らが育てたマスメディアの力、映像の世界配信によって、津波ですべてがさらわれていくのを、世界中の人が目の当たりにしました。
その意味はいったい何なのでしょうか。
形あるもの、人々が生涯をかけて働き稼ぎ出すお金で実現するマイホームが、あっという間に瓦礫に変わる。
愛して止まなかった親や子が一瞬で手の届かないところへ押し流されてしまう。
自然の決断に際してあなたたちは無力なのだよ、との地球からのメッセージではないのでしょうか。

例えばこれが誰かの策略で、首謀者が居たとしても。
その人を死刑にしたからといって元に戻るものではありません。
その人を恨んでもなにも変わりません。
自分の苦しさが増すだけです。

見た目は誰かの策略なのかも知れない。
それはたまたま手段だったのであって、その災害を決断したのは地球自身なのです。
仮に人類が謀略によって起こそうとした地震だったとして、それに対して地球はNOを出すことだってできるのです。
先日の台風のように。


アメリカの竜巻。たくさんの人が家を失い死者も多数でした。
助かった人も怪我をしていて、何よりその衝撃は日本での震災と同じように、心に大きな恐怖とともに自然の脅威への無力感を与えた筈です。
これも気象操作兵器ですか?
中東の独立運動。ここでも多くの死者と怪我人が出ています。
これも闇の人々の謀略ですか?
ユーロ圏はデフォルトの危機です。
一つの加盟国の経済が破綻すれば連鎖的に金融危機が勃発する危険性が出てきています。
これも謀略なのでしょうか?
日本の政治が紛糾しているのは某国による操作が入っているからなのでしょうか?

特にインターネット上では様々な謀略説がささやかれ、人の心を疑心暗鬼の陥れるような情報が蔓延しているようです。
それこそが策略です。
どうかそれに嵌らないよう気をつけてください。

人間が地球よりも偉くなってしまったとき、この策略にはまってしまうのです。
いつも地球と人類との関係に目を向け、自分の立ち位置を確認してください。


東南アジアでは、頻繁に洪水が起きていることをご存知でしょうか。
太平洋に浮かぶ島々では大潮のたびに高波で町が浸水しているのをご存知でしょうか。
北極では氷床が減少し、多くの動物が生存の危機に瀕していることをご存知でしょうか。

地球は本気で人類に気づいてほしいようです。
サインをたくさん出しています。
日本人は、今、地球のOKで起きた地震や原発事故の意味を知ろうとすることが急務です。
悲しみ、恐怖し、毛嫌いし、逃れることばかりを考えていては、物事の本質は見えてきません。
どうか、一人ひとりがまっすぐ向き合ってください。
人類の一員として生かされていることに感謝し、地球に対する所業を認め謝罪し改善していく方向へ向かっていきましょう。
誰かのせいにして誰かを恨んだり、恐れたりするのはやめて「自分と地球」というスタンスで生きて行きたいものです。


先日書いた地震・災害によせてという記事の「ネガティブを発信しない」「祈る」についてもう少し書いてみたいと思います。


2008年5月、中国・四川での大地震について、ブログを書いていました。


誰かの犠牲の上に大切なことを「知る」という手段を手放すとき
http://seed.harumonia.biz/?eid=660823


阪神、スマトラ、四川、その後もハイチやチリ、先日のニュージーランド・・・
そして3月11日に日本でまた世界が震撼するような大地震と津波の被害、原発事故。
ますます人類の課題は大きくなりつつあります。
「世も末だ」という思いも、ひとりのちっぽけな人間としてはもっともなこと。無力感に打ちひしがれる日もあってもいい。それが「この世界に生きている」ということです。

 

私たちの人生はテレビのドキュメンタリー番組に例えることができます。私の人生=番組ならば「いわた明珠の人生劇場」(笑)


「辛い」「怖い」という感情は小さな視野で目の前のことだけを移しているカメラが捉えた映像です。私たちにはもう一つカメラがあるのです。もっと「引き」の画像が撮れるカメラです。広角なので、客観的に、周りの景色なども映せます。今どういう環境にいるのかまで判ります。


このカメラの例えは、「三次元世界に存在する私たちが自分と認識している意識」と「ハイヤーセルフ」のことです。至近距離・アップ画像でガチンコリポートする1カメさんがこの世界に肉体を持って存在している私たちの視点。今まさに経験していることを余すところなく映し出します。いわばレポーターが手にして歩いているポータブルビデオカメラ。しかし現場の突撃リポートなので、解説や映像の解析はできません。もう一つのカメラは、高い位置に設置されている2カメさんで、幅広く撮ることができます。ずーと引いていくと、周りの景色や環境、一緒にいる人なども映すことができます。どこでどういう状況で何をしているのか、客観的に映しているので、映像を通して「ただ今○○は□□に居て××をしています」という解説をすることが出来ます。これがハイヤーセルフといわれる視点です。


どちらか一方のカメラしかなかったとしたら、「自分人生劇場」というこの番組はとても判りにくい番組になってしまいます。秀逸なドキュメンタリー番組に仕上げるためには、両方のカメラがきちんと機能していることは大切。


今回の地震や災害を1カメさんで眺めたとしたら、「怖い」「苦しい」「不安だ」「助けて」となるでしょう。アップで映像を見れば臨場感たっぷりです。でも2カメさんで眺めて見ればまた違った様子も見えてきます。被害状況、捜索救援の状況、自分以外の他の人々の様子、支援の実態、海外の反響・・・。
「ものの見方を変える」「見る角度を変える」と言われても、実際どう変えれば良いのかわからないのが本音ですが、この1カメさんと2カメさんを自分の中で切り替えながら見るということが「視点を変える」ということなのです。


ただ、2カメさんは往々にしてテレビ放送が作ってくれた映像を流用してしまうことが多いのです。1カメ視点で地震災害を感じて「こわいな」「どうしよう」と捉えながら、2カメさんで撮るべき(観じるべき)状況は災害情報番組の映像を流用してしまう。どうにかすると1カメさんまでテレビで流れている映像で代用してしまうことすらあります。「テレビを観ていたら怖くなった、この先どうしていいかわからない!」というのは典型的。そうなるともはやメディア=自分の人生劇場になってしまいますよ!いいのですか?自分の人生を他人に操作されても?いったいどなたの人生だしたっけ?…つまりこれが「情報操作」です。私たちがこのカメラの視点を忘れてしまったとき「情報操作」が実現してしまうのです。「操作する者」は私たちのカメラを勝手に乗っ取ったり動かしたりはしません。操作される状態になってしまう私たちの問題=自分のカメラで映像を追いかけようとしなくなることが問題。それはつまり自分の人生劇場を投げてしまっているということですから。


1カメさんと2カメさんの映像がバランスよく取り混ぜられているからこそ、内容の良くわかるメリハリのある、満足のいく番組ができます。だから実生活でもネガティブな感情もオッケーなのです。ただ、番組のシナリオの方向性との兼ね合いがあり、悲劇で終わらせたければネガティブな感情にフォーカスして追いかければ良いし、ハッピーエンドにしたければ、ネガティブな感情は番組のエッセンスとなるだけです。どちらが良いですか?



そんなことを踏まえて、数々ある人類の大きな課題をもう一度眺めてみてください。
とても壮大な企画の中に私たちは生きています。
これを自分自身の人生と絡めて撮りおろすことが今生のミッションなのです。


まず自分のシナリオを確認しましょう。どんな番組=自分の人生にしたいですか?
地震や災害で失望と混乱の中で終わっていくストーリーでしょうか。それとも、大変な状況の中から多くの経験をし、愛を知り、一回りも二回りも成長していく、必ずハッピーエンドを迎えるというストーリーにしますか?


次にこのたびの地震災害を自分の2カメさんで見てみてください。
状況はどうでしょうか。他のチャンネルで放送されている番組の中で使われている映像(テレビや新聞、インターネット上の情報)は、あなたの2カメさんが映し出している映像(あなたが観じた状況や受け止めた感覚、調べてみてピンときた情報など、つまりあなたのセンス)と同じですか?それとも大きくかけ離れていますか。常にシナリオと照らし合わせながらチェックをしましょう。それができたら1カメさんで自分の追いたいものが見えてきます。あなたのセンスとシナリオに沿って。苦しみや悲しみ、ネガティブにフォーカスするのか、それともそれをベースに愛や感謝に視点を移していくのか決めましょう。


人生はいかようにも設計できます。
あなたが書いたシナリオどおりに。
一人ひとりの人生劇場を作り上げていくこのプロセスこそ「祈り」なのです。



祈りについて
http://moritagen.blogspot.com/2011/03/blog-post_8754.html
玄のリモ農園ダイアリー



今日本で起こっている震災・災害に対して、皆さんは自分の人生劇場の中でどのようなシナリオを書かれるでしょうか。多くの方が救済と復興、明るい未来のストーリーを願われていることと思います。私たちは過去に同じような災害が世界中で起きるたび、無意識にこのストーリーを書き上げ、撮りおろしてきたのです。私たちが今日、今、ここに生きているということは、その「祈り」が実を結び続けてきた証です。
今年は数々の「結果」を目の当たりにする一年です。
日本中、世界中の多くの人々からエールが届いている今、過去の地震や災害に対する「祈り」が実を結んだ結果を見せられているのです。
そういう私たちのエネルギーは捨てたモンじゃありません。
それに応えてくれる地球も宇宙もなんて懐が深いのでしょうか。


大きな意味でこの震災、災害という苦難を捉えたとき、
私たちが一人ひとりが自分の人生劇場を責任をもって実現させていくことが必要です。
この震災、災害が必ず最善の形で人類の経験となっていくというシナリオ書き上げることです。
操作されない、投げ出さない。
今日、今出来ることに最善を尽くし、目に見えるものから目を背けず、自分のカメラで捉え、望んだストーリーを撮りおろしていくことで、この祈りはきっとまた今回も実を結ぶはずです。


震災関連の情報は様々錯綜していて、特にインターネット上では玉石混交です。未だ被災地では救助活動も続いており、非難されている方はけして平穏な状況ではありません。私自身もブログ上で何か意見を述べることで、混乱や誤解を生むことはまったく本意でなく、ただただ、自分の霊(たましい)の声に従い、「その日そのときの最善を尽くすのみ」と思っています。

反面、錯綜する情報に振り回され、知らず知らずのうちにネガティブの罠にはまり、気がついたら悲観と絶望の中にいた、という方もいらっしゃいます。人々の思いの動向は未来を左右します。出来ればすばらしい明日がきてほしいと、誰もが思っています。

どんな情報も慎重に、冷静に受け止めようではありませんか。
鵜呑みにせず、まずは自分なりに視野を広げて分析してみようではありませんか。
情報を受け止めるのに、自分の軸になる方向性があります。
まずはそれをポジティブに設定していきたいものです。
今、このときに「自分に必要な事柄をチョイスするというレッスンをせよ」ということなのかもしれません。
人類の未来は一人ひとりの思いや行動に託されているのです。一見危機にも見える状況を光に変え、この危機から学ぶ。苦難も宇宙からの恩恵です。「すべての出来事は私たちを育ててくれるためにある」のですから。


不安を増大するような同種の情報は溢れています。また、現実的ではないと思えるような、極端に良い方向だけにフォーカスした意見もあります。ぜひご自身のバランス感覚を研ぎ澄ましてお読みいただければと思います。

以下は原発の災害に関して明珠が個人的に気になった情報です。


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照(しょう)さんという方の「世見」というブログがあります。
現在サーバーエラーで参照することができません。
アクセスが集中しているのでしょう・・・
この方はいわゆる「予言」をされる方、と私は理解しています。自分以外の他の存在から様々なこと(過去の事実や未来の動向)を知らされ、それを本当に謙虚に、しかし強い意思を持って発信されています。
この方の情報が「正しいかどうか」ではなく「ある一つの過去のシナリオ、未来のシナリオが公開されている」と受けとめて拝見しています。(過去のシナリオ、未来のシナリオはけして一つではなく、何通りもあり、どれでも選ぶことができます。人々の望んだとおりのシナリオが実現していきます。どんな情報でも「何を選択するかは自分次第なのだ」ということを確認して、お読みいただければ良いのではないかと思います)
この方が先日気になる記事をアップされています。
リンクをしたかったのですが、サイトに繋がらないので、保存記事を貼り付けます。


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昨夜教えられた事


今世には、奇跡は存在します。
原発は、今以上の被害にはならないと信じ切っています。
我国は、神国です。
皆様がお心をひとつにする事で、我国は守られる神様が働いて下さると私は思い込んでいます。
私が申し上げる神様とは、宗教観から出る神様ではなく、この地球の自然界を調和しようとする大自然界の働きの事です。
どんな物質でも、この地球にある物質であれば必ず中和出来る物質が存在すると思ってもいます。
人間が、知恵で生み出した物質もです。
昨夜、夢なのか不思議な世界の方々からのメッセージなのか分かりませんが 頭の中に鮮明に次なる事を覚えさせられています。
「無色、無臭、透明な気体を、皆様が日々気にも掛けずに恩恵に与っているのは空気です。
地球を包む大気の下層部分を構成して、生物にとっての命の素でもあるのが 空気です。」
窒素が約5分の4、酸素が約5分の1の混合気体です。
この他には、アルゴン・二酸化炭素・ネオン・ヘリウム・メタン・クリプトン・亜酸化窒素・水素・オゾン・キセノン此処まで書けて、自分でも驚いています。
こんなの私の知識の中にあるはずがありませんが、これが空気の成分だそうです。
昨夜、感じ取れた中に今回問題の放射能汚染に関わる事の様に思える部分がありましたが、何分知識がない為に、上手くお伝えが出来ないのが残念ですが続けて見ます。
物質が構成される原子が、自然に壊されて出す性質の現象が放射線。
その放射線はα線、β線、γ線があり、この放射線の何かの部分(ウ〜ン お伝えするのが難しい)と空気の成分の中からの性質を利用して、高濃度の放射能物質を封じ込められると教えて下さったように思いました。
その放射線の中でも電磁波(γ線)の働きが大きいとも言われていた気が致します。
次が、お伝えするのがもっと大変になりますが、お伝えする事が使命だと思い 頑張って気を整えながら頭の中の教えられた事を 感じ取りながら書いていきます。
電場と磁場が時間的に変化のない時に、放射線の電磁波γ線の強度を上げる。
ウ〜ン、下げるだったかな、を射ると言われたようなァ。
どう書けばよいのか分からなくなりましたが、電流、動く電荷、動く磁石の回りに電場と磁場が合体するところ、誰かこの事が分かる方はいませんか!
それと、それぞれが単独で存在する。
こんな事を言われた気がします。
ウランの核分裂や重水素などの核融合とは、すなわち、いくつかの軽い原子核がエネルギーを出し、ひとつの原子核になる事。
意味は分からないが、書いておかなくては後でもっと分からなくなる。
水蒸気は、気体です。
空気も、気体です。
私達は、この空気の成分率が自然界ではごく普通と思って暮らしているのですが、あの放射能が放出された辺りはこの自然が崩壊されているのです。
空気の成分比率が違っている事を、知識のある方はお考えになって下さい。
きっと今日、お伝えした事は、この事に詳しい方のお心に届く日が来ると思っています。
空気が空気としてある別の所に、別の物が参加したが故に、生物にとっては生命の危機になっているのです。
調理の中で 塩を抜く時は塩を使います。
調理は物理学でもあり、生物学でもあります。
頭を固くされずに私が教えて戴いた事を一度考え戴きたく思います。

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照さんご自身は、科学者や物理学者ではなくていらっしゃるし、私自身も知識がありませんが、とにかく放射能を無害化する術があるかもしれないということはわかります。

そして今日はその回答かも知れないという情報に行き当たりました。
物理学博士、井口和基氏のブログでも照さんのことが取り上げられていました。

Kazumoto Iguchi's blog
http://quasimoto.exblog.jp/

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結論は、

α線(ヘリウム原子核)、β線(電子、陽電子)は、磁場で防ぐ。
γ線(電磁波)は、酸素に反応させオゾン化させて防ぐ。
中性子は、水蒸気で防ぐ。
熱は、水で防ぐ。

つまり、放射線の防御は可能であるということである。問題は、今後どのような方法で、それを実施するかということである。今後はこれを考えようと思っている。


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また以下のブログにも「もしやこのことでは?」と思える記事がありました。

黄金の金玉を知らないか?
http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-730.html
「原発情報2(メルトダウンは起きないだろうという意見)」

ロシアのチェルノブイリを経験した核物理学者の見解だそうです。
ロシアのテレビ放送では、チェルノブイリを経験した核物理学者たちを呼んで冷静に議論し、彼らの「福島原発は決してチェルノブイリのようにはならない」という明確な見解を流しています。そのなかの何人かはすでに日本に到着しており、技術的な援助の準備に入っているようです。このテレビ放送の内容を日本語訳して下さった方がいらっしゃるようです。

 


とある温泉宿泊施設。
良くある光景です…
友人同士での温泉旅行なのでしょう、60代と思しきお母さん方が10人ほど。
夕食のお食事の席も、お風呂でも、朝食の席までもご一緒でした。

「旅行に誘われた後、胃の調子が悪くなって」
「それは大変だったわね」
「病院に行ったら『精密検査をしましょう』と言われて、あ〜これで悪かったら温泉行けないなと思ったわ」
「で、良かったの?」
「胃炎だった」
「良かったわねぇ」
「薬ももらったし、調子は良くはなかったんだけど、これを飲んでいれば安心だから」
「そうねぇ」
「お父さん(旦那さん)に『身体の調子が悪いのに温泉に行くの?』と言われたわ」
「あはは・・・」

この会話を聞いて、いろいろ思うことがありました。
日常感じることとも照らし合わせて、この世代の方は多くの方がこういう価値観なのでしょうか。
病院→精密検査→(悪いのでは?と疑心暗鬼)→薬を処方される→(これで安心と思う)
この方のように胃炎に限らず、血管の病気も、心臓の病気も、高血圧も、きっと同じパターンです。
薬さえ飲んでいれば安心???
薬って何なんだろう。
症状を抑えればそれで安心???
なんで胃炎になったのかは置き去りなので、またきっとなりますよね…
原因が特定されず、訳のわからないままとにかく症状が治まればそれで治ったと思う…私ならその方が矛盾に満ちていて不安です。

特に引っかかるのは『身体の調子が悪いのに温泉に行くの?』という言葉。
寧ろ『身体の調子が悪いからこそ温泉に行く』のではないのかと思うのですが…流石に自分自身の価値観も少々混乱しました。


「孫にかけてあげた学資保険、嫁は当たり前のようにもって行くのよね」
「そこで『すみませんね』の一言があると問題ないのにねぇ」
「そうでしょ」
「そうね」
「お父さん(旦那さん)は『かけた分取れ』と言うけど」
「それもイヤらしいし」
「子供を預けたいって言うから『預かるのはいいけど晩御飯は食べるのかしら』と嫌みったらしく聞いてやったわ」
「そうそう自分たちの都合ばっかりね」
「要らないって言ってても急に『食べさせて』ってしょっちゅうだから」

よく同居の義母に子供を見てもらっていた私にとって、耳の痛い話でした。
確かに若い人は幸せに成長したが故に「親にやってもらうのが当たり前」となっている人が多いのかも知れません。
感謝の気持ちを忘れていることは大問題。
お母さんたちの言っていることはもっともです。
目が覚めます。

しかし、疑問も沸いてきます。
どうして思っていることを相手に伝えないのだろう・・・
お嫁さんに感謝の気持ちが足りないとしたら「あなた足りないわよ?」と教えてあげることも優しさかも知れないと思います。けしてケンカするのが目的で言うのではなく、わからないこともあるのかも知れないという思いやりで、相手に誠意は伝わると思うのですが。「伝わらない」と決めてかかっている人はけして伝わらないでしょうけど・・・それは相手をまったく信用していないということですから、鏡の法則として、相手も信頼を返してはくれないはずです。
それと、個人的見解として、「あげた」ものは「あげたもの」なのです。
惜しみながら「あげた」というのは純粋に「あげた」ではなく「見返りを期待する」ということに他なりません。
「期待した見返りが帰ってこない」といっているようなもの・・・むしろその方が「イヤらしい」です。
ならば最初からあげなければ良いと思います。

いくら愚痴っても。その場ではストレス解消したと思っても。
またお嫁さんの顔を見れば感情はよみがえってきます。
そして延々続くのです。
死ぬまでそのままだったとしたら、なんて不毛なんでしょうか。
相手から謝って来てくれるのが当たり前、こちらは悪くないんだから。
そういう心持で自分を省みないのは、つまり自分の成長はないということ。
私は完璧???本当でしょうか???

人の心を動かしたければ、まず自分から。
相手は自分の反映なのですもの。鏡なのですもの。
自分が変化してこそ、相手も変化するのですもの。


お母さんたちがお風呂から去った後、一人露天風呂で夜空を見上げながら。
「ああ、私はとても幸せだな」と思いました。
放って置いてもこうして考える機会が与えられている。
お母さんたちの話をこの耳で聞くことで自分を省みようと思える。
人生なんでも勉強なのです!


いろいろ教えてくださってどうもありがとう。
どうかどうか、あのお母さんたちが、幸せに心安く暮らせますように。

そう、宇宙に発信しました。