中国の地震はとても大変な出来事でした。
私自身神戸の出身で、あの阪神大震災では実家にいた家族も親類も被災し、友人を亡くしました。
今回の四川省での地震もとても人事とは思えませんでした。
行方不明の大事な家族や友人を心配する気持ちも、亡くなってしまった命を悼む気持ちも、まるで自分のことのように胸に迫ります。
胸を痛めながらも、地震の続報を目にするにつけ、胸が熱くなることもあります。
義援金や人的援助をいち早く決めた日本。
人々の心の底には、やはり阪神大震災で生まれたひとつの「思い」があるのでしょう。
あくまで私的な思いなのですが…
阪神大震災では、私たち日本人は人と人との繋がりの強さを再確認したと思います。
瓦礫の下から、家族隣人分け隔てなくとにかく人の命を助けたいという切なる思いを抱いたこと。
被災地から遠く離れた場所に住んでいる人たちが、自分のことのように胸を痛め、ボランティアで被災地の救援に来てくださったこと。
日本各地から海外から、救援の物資や人材が届いたこと。
どれをとっても、薄れかけていた人と人との絆を、もう一度強く結びなおすような出来事であったと思います。
人間の感情の部分でいえば、なかなか割り切れない大勢の大切な人の死。
けれど、薄れかけている大事なことを知らしめるために、犠牲になってくださった人々の気高い魂にあらためて感謝したいと思います。
今回の中国での地震も同じなのではないかと思うのです。
日本人の目に映る中国は、最近評価が分かれていたことと思います。
だからと言って中国の人々のどこがどうというわけではなく。
そういう国の体制だとか、必要なことを選べない制度だとかが問題なのであって、「中国」という国そのものに対しての悪い印象が広がったのではないかと思います。
けれども、日本の人々は「何が大切か」をきちんと学んでいました。
日ごろの様々な行き違いや摩擦などものともしない「人と人との絆」がどれだけ大切であるのか。
そんな日本の人々の切ないほどの思いが、中国の人々に伝わっていくことを願います。
事実もともと反日感情の強い中国の人々の日本に対する感情が溶け始めているというニュースが届いています。
日本の救援隊に対して、また、義援金を寄付すると表明した日本企業に対しての評価が変わりつつある、と。
地震を通して被害にあわれた人々の魂は、その身をもって、「隣人」の大切さを教えてくれているのではないでしょうか。
再び、それを知らしめるために犠牲になられた尊い命に感謝しなければならないと思います。
そして私たちは反省しなければなりません。
いつもいつも、大きな災害が起こり、誰かが犠牲になることで、こういう大切なことを知るのです。
地震にしても、事故にしてもそうです。
誰かの犠牲の上に大切なことを「知る」という手段を手放すときが来ているように思います。
人々が手放したとき、きっと地球上から嵐は去るでしょう。
手放さなければ何度でも、禊の嵐はやってくるのだと思います。
世界中の人がこの大災害を期に変化していくことを願って止みません。
そしてこれが最後の「犠牲の上に成り立つ教訓」になることを。
被害にあわれた方々にはどうぞ力を落とさず、魂を汚すことなく、立ち上がってくださることを祈ります。
犠牲になってくださった人々の尊く気高い魂に感謝と哀悼の意を表します。
余震やダムの決壊など二次災害の懸念も出ていますが、どうかこれ以上の犠牲を払うことなく、人々の心が変化していくよう心から祈って止みません。